日本の喫茶の歴史 ― 恵林寺住職 古川老師

コラム「恵林寺を訪ねて」第1回。ご住職の古川老師に、日本の喫茶の歴史や禅の精神について伺いました。

 

お茶を嗜む習慣は世界中にありますが、日本人ほどお茶を愛し、味覚を楽しむだけではなく、器や道具、そして建物や庭園、生活習慣までこだわりを持って徹底的に磨き上げ、深い精神性を加えながら、芸術文化に、さらには倫理観や人生観にまで高めていった民族はありません。

 

『八右衛門座敷』の控室が並ぶ廊下

 

私たち日本人が喫茶の習慣を学んだ中国にも、アフタヌーン・ティーの文化を世界に広げた英国にも、優れた喫茶の文化があります。

しかし日本では、最初は宗教的な儀礼や薬としての使用を目的として輸入されたものの、その後、室町時代に村田珠光によって精神性を重んじる「佗茶」が始められると、千利休によって「茶の湯」はさらに深められ、単なる文化の枠を超えて、人の生き方に深く関わる「道」として完成されていきます。

 

恵林寺所有の天目茶碗

「茶の湯」の修行とは、ただ湯を沸かし、茶を点て、客をもてなすだけではありません。磨き上げ、様式化された簡素な振る舞いを通して、自分自身の心を見つめ、自分の心の中に潜む欲望や執着と立ち向かうのです。 単純で簡素だからこそ、ちょっとした動作、ちょっとした間合いの中にその人の心がありありと現れます。

 

恵林寺の茶室「一个亭(いっかてい)」

 

相手が誰であろうとも、媚び諂いはおろか、気負いすらあってはなりません。いついかなる時にも無心の境地で自然に振る舞うこと、これが茶の湯の修行が目指すところです。これを体得するには、生涯をかけた修練が必要です。

「茶聖」と讃えられる利休は、若い頃から一流の禅僧に就いて厳しい修行に励み、禅の玄旨を体得していました。そして禅に傾倒していた利休によって、日本の茶道は禅の精神とひとつのものに成りました。この境地を「茶禅一味」といいます。

 

古川老師の凛とした佇まい

 

禅の精神は、一言で言うならば、余計なものをすべて捨て去るということです。坐禅をするときには、すべての雑念を捨て去って、純一無雑の集中に入ります。 古来、禅寺でお茶が好まれたのは、薬用として身体を健やかに保つだけではなく、眠気を払い、雑念を除き去って瞑想に集中するためなのです。

MATCHA Lab の皆さんは、完全無農薬のお茶にこだわっているのだとお聞きしました。お茶を完全無農薬で生産することの難しさは、良く知られているところです。

 

MATCHA Lab スティック抹茶を茶室「一个亭」にて

 

食の安全ということに関心の高まっている今日、こうした試みは高く評価されるべきでありますし、それ以上に、余計なものを除きさり「無雑」であること、そして「自然」であることを目指す「茶禅一味」の精神にもかなっていることだと思うのです。


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